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菅直人さんへインタビューしたときのこと
2011年02月11日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
菅直人さんに会ってインタビューをさせてもらいました。
と言っても、最近のことではありません。
今から30年も前の話です。
当時、菅さんはまだ34歳。
衆議院議員に初当選して間もない頃で、
私もまだ学生でした。
私は当時、学生向けのミニコミ誌の編集をしていました。
お会いした場所は国会議事堂横の第二議員会館。
1時間ほどのインタビューをさせていただきました。
最近は菅内閣の人気が下がり、支持率も散々ですので、
書くことに戸惑いもありますが、
彼が総理大臣のうちに、
昔の思い出話をちょっと披露しておきたいと思います。
昭和55年のことでした。
当時、学生だった私から見ると、
政治の世界は、とてもいかがわしいものでした。
政治家はいわゆる地盤や看板がないと目指せない、
どろどろした存在に見えましたし、
30代で当選できるのは二世議員かタレントだけ・・・
そういった雰囲気の感じられる時代でもありました。
そんな中、
菅直人さんは私達の前に登場しました。
市民運動出身の30代が、
カンパとボランティアによる応援を中心に選挙を戦い、
東京7区でトップ当選を果たしたのです。
大平正芳総理が選挙運動期間中に急死した、
いまも記憶に残る衆参同日選挙でのことです。
菅さんの当選は、とても注目を集めました。
保守でも革新でもない第三の選択肢という、
小さな風穴が空いたような衝撃を
当時の若者の誰もが感じたものでした。
そして多くの若者が、
「政治への希望は捨てないでおこうかな」
と、思ったはずです。
そんな希望にあふれたデビューを飾った頃の
菅さんへのインタビューを載せたミニコミ誌が、
いまも、
私の手元に残っているのです。
インタビューの主な趣旨は、
「政治に関心の薄い若者に、もっと政治に興味を
持ってもらうにはどうしたら良いか聞かせてほしい」
と、いうものでした。
そのせいもあって、
それほど深い話は聞き出せていないのです。
菅さんも若かったし、私も若過ぎました。
以下は菅さんのお話の要約です。
元気な言葉が並びます。
「政治を市民の手の届くところにひきずり降ろしたかった。
市民による市民のための政治を実現したい」
「政治を大変なことだと思うところに、若者の錯覚がある。
大学生が学園祭をやるくらいのエネルギーがあれば、
選挙なんて軽くやれちゃう」
さらにこんな言葉もありました。以下も要約です。
「若者の政治離れは、政治を実感できる『場』がないから。
私はそういう『場』を作っていきたいと思うし、、
若者も自らテーマをみつけて、『場』を作ってほしい」
「たとえば環境問題。原子力発電所の問題」
「アルミ缶を回収してリサイクルできれば
原発の電力が不要になるくらい省エネになる」
「若者には、アルミ缶を回収するという身近な反原発運動も
あるのでは」
・・・アルミ缶を全部回収してリサイクルできたとしても、
原発が不要になるほどの省エネにならないことは、
今となっては常識です。
しかし、この当時、菅さんはそう思い込んでいたようです。
「根拠が薄くても言い切ってしまう悪いクセは、
どうやらこの頃にはすでに始まっていたようだ」
と、口の悪い人は言うかもしれませんね。
当時は、エコロジーを唱える人ほど、
「反原発」だったと記憶しています。
その原発も今では安全面での心配や、
廃棄物処理に関する議論などは尽きないものの、
とりあえずは発電の過程でCO2を排出しない、
もっともクリーンでエコなエネルギー供給源のひとつと、
世間が認識しています。
今のようなかたちのエコの時代が来るとは、
当時は想像できませんでしたし、
菅直人さんが総理大臣になるなどということも、
当時は1ミリ程も想像できませんでした。
「未来は読めないものだ・・・」
これが今日のお話の結論でしょうか。
以上、たまにはこんな話も書いてみました。
政治的な意図はもちろん一切ありませんので、
よろしくご理解下さい。
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