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「鎌倉震災誌」 鎌倉を襲った8メートルの津波
2011年07月22日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
「鎌倉震災誌」という本があります。
昭和6年に当時の鎌倉町役場から発行されました。
いまも鎌倉の古本屋さんで見かけることがあります。
大正12年の関東大震災による鎌倉の被害と
復興について、
まとめられています。
関東大震災の震源地は相模湾でした。
震度は8クラスだったと言われており、
湾に面する鎌倉の全域は、一瞬のうちに壊滅しました。
当時、旧鎌倉市街は「鎌倉町」と呼ばれていました。
大船、腰越、深沢などの地域は、
まだこれに含まれてはいませんでした。
「鎌倉震災誌」によれば、
この鎌倉町の全戸数は4,183戸。そのうち、
全壊 1,455戸
半壊 1,549戸
埋没した家 8戸
津波による流失 113戸
地震直後の火災での全焼 443戸
ほぼ壊滅といっていい状況です。
死者は412名、重傷者は341名にのぼったそうです。
また、
相模湾沿岸を襲った津波の高さは5~8メートル。
鎌倉では8メートル程度になったと推定されています。
津波は熱海・伊東以南の沿岸を浸しつつ北上し、
小田原付近で東へ折れたのち、
鎌倉を襲ったと考えられています。
小田原・大磯などの被害は少なかったのですが、
鎌倉方面はそうでなく、
主に、
海抜の低い江ノ電の長谷~由比ヶ浜あたり、
さらに材木座あたりが、甚大な被害を受けました。
流失家屋は繰り返しますが、113戸。
少な目にも思えます。
実は当時、
このあたりには国道134号線もまだ無く、
砂浜と松林が広がる中、家自体が少なかったとのこと。
そのため、
この程度で済んだようです。
津波は2回にわたって来襲しました。
被害は1回目よりも2回目の方が
はるかに大きかったのだそうです。
海水が急激に沖へ引いたあと、
やがて、
黒褐色の大波が押し寄せてきた、といわれています。
こうした「鎌倉震災誌」などの記録を
当時の写真などのビジュアルもまじえて見ることができる
サイトもあります。
特に鎌倉にお住まいの皆様など、
よろしければぜひご覧になってみてください。
↓
http://www.kcn-net.org/oldnew/index.html
約500年前、
鎌倉大仏の大仏殿を倒壊させたのも、
大津波だったと言われています。
「鎌倉震災誌」は、
こうした被災の歴史をもつ鎌倉の防災を考える上で、
これからも
市民の宝でありつづけることでしょう。
■下記は、
上記のサイトからの抜粋です。
「鎌倉震災誌」に記された経験者の談話です。
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坂ノ下
稲瀬川付近で第2震のおよそ20分後、
海水は遠く引き去りはるか沖合に
黒光りした大波が大音響を立てていた。
その時砂浜には被災者が5、60名位づつ数個所に避難しており、
気がついた人々は辛うじて逃げ去った。
家屋や護岸が流された。
極楽寺
第2震の20分ほどのち、
海水は江の島の東端より三浦半島に向って
一直線を引いたと思われるあたりまで引き去っていた。
ところが見る見るうちに3m以上の大波が襲来し
由比ヶ浜方面に向ったが、その余波は極楽寺川にも浸入した。
再び海水は引き去り、夕方には500m位沖まで引いていた。
翌朝は潮が満ちていたが、砂浜は広がっていた。
極楽寺の人家はいずれも高所にあったためか、
ほとんど流されてはいなかった。
乱橋材木座
津波は最初、砂浜を没して岸壁に衝突し豆腐川に浸入したが、
急速に400m位沖合まで引き去った。
和歌江嶋が長く半島状に露出するとその約20分後再び来襲して、
豆腐川を中心として付近一帯の人家や岸壁を破壊した。
海水は補陀洛寺辺りまで浸入して電柱を没した。
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