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仲介会社が広告費の倍増を求めてきた!オーナーさんの判断は? その3
2012年02月08日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
水曜日は「読者の声とお悩み」です。
「空室を早く埋めるため、もっと広告を打ちたい。
積極的な営業を展開したい。
ついては今後、広告費をこれまでの倍の2ヶ月分もらえないか」
そう仲介会社に打診され、
お悩みのオーナーさん。
前回は、
法律に定められた報酬額を超えての行為ではあっても、
仲介会社が、
場合によってはオーナーさんへ広告費の支給を求めざるをえない
現状について、
お話しをさせていただきました。
また、それに併せて、
広告費の支給、あるいは増額の打診をうけた際、
オーナーさんが注意をすべきいくつかの点についても、
お話しをさせていただいたところです。
そこで、
ちょっと話を変えますと、
実は、
この広告費の問題、
ある状況においては、もはや、
1ヶ月分、2ヶ月分といった
レベルのお話ではなくなっている現状もあるのです。
それは、
いわゆるファンドが大家さんとなっている
「ファンド物件」の場合など。
投資家から寄せられる利回りへの期待に応えるため、
賃料の方はなかなか下げることができず、
それでも契約は勝ち取りたいため、
「広告費を賃料2ヶ月分、
いや、3ヶ月分にするから決めてほしい!」
などと、仲介会社が、
貸主側から持ちかけられるケースがあるそうです。
さらに、
ある仲介会社さんに聞いた話では、
「これまでに一例だけ」とのことではあるのですが、
なんと、
「賃料5ヶ月分を払う!」
との申し出を受けた物件もあるとのこと。
もちろんこれも、
ファンド物件とのことでした。
つまるところ、
適法・違法の問題は、繰り返しますがおいておくとして、
賃貸物件の媒介報酬の上限=賃料1ヶ月分
と、いうくくりは、
事実上、
マーケットの常識ではなくなっています。
またさらに、一方では、
こんなスタンスをとられるオーナーさんも増えているのです。
「高い成功報酬を約束して、
仲介会社にハッパをかけるのがいい。
その方が、リフォームに大金をかけるなどするよりも
よほど低コストで効果的だよ」
お気持ちはよくわかります。
また、
実際にそうしたやり方が、効果を得ている場合も
少なからずあるでしょう。
しかし、
ある都内の仲介会社の社長さんは、
こうおっしゃっていました。
「たとえ広告費を沢山注ぎ込み、
仲介会社により多くの広告を打たせ、
営業マンにもハッパをかけて、
ご自身の物件への優先的な案内を約束させたとしても・・・
結局、選ぶのは入居希望者なんです。
物件に十分な魅力があって、賃料も適切でなければ、
彼らは契約してくれないのです。
やはり大事なのは、
『物件力の向上』、『適正家賃』。こちらの方です」
私もこの意見に賛成です。
借り手市場のいま、
入居希望者は、厳しく物件を比べ、選択できるのです。
彼らの眼はそれほど甘くはありません。
広告費の支給という痛み止めの効果がやがて切れた
そのとき、
オーナーさんの前には、
「物件力の向上」、「適正家賃」
これら本来の課題が、
重く突きつけられることでしょう。
以上、いかがでしたでしょうか。
「空室を早く埋めるため、もっと広告を打ちたい。
積極的な営業を展開したい。
ついては今後、広告費をこれまでの倍の2ヶ月分もらえないか」
そんな打診を受けたならば、
オーナーさんは、
「なぜこんな提案がされたのか?」を
まずはしっかりと考えましょう。
出費を求められるその原因が、
仲介会社の思惑にあるのか?
ご自身の物件にあるのか?
それらを見極めるために、とても役立つのが、
他の仲介会社に相談してみること
=セカンド・オピニオンです。
突然の提案に慌てず、
ご自身を見失わず、
まずは、
自らと周囲とを冷静に見回してみることが大切です。
空室対策の成功事例。退去者だけでなく入居者へもアンケート!
2012年02月07日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
火曜日は「編集部こぼれ話」です。
先週にひき続き、
札幌の管理会社、
「札幌オーナーズ株式会社」森 賢一 代表取締役より、
おうかがいしたお話を紹介しましょう。
空室率約25%といわれている札幌市。
しかも、管理物件のうち、
築20年以上になるものが60%以上に及ぶのにも
かかわらず、
92.2%という高い入居率を誇っている同社。
その秘訣のひとつに、
「入居者へのアンケート」
が、ありました。
ですが・・・
「アンケートなら、多くの会社でやっているのでは?」
そんな声も挙がりそうです。
しかし、
実は、よく聞かれるそれらは、「退去者へのアンケート」。
退去が発生した際、退去されるそのご本人に、
退去の理由や、
建物、設備、管理、住み心地などについての満足度、
不満だった点などをお尋ねする・・・。
これを行なっている管理会社さんならば、
確かに、少なくはないでしょう。
もちろん、札幌オーナーズさんも、
この「退去者アンケート」は行なっています。
そこに加えて、実施されているのが、
いまのところは退去する予定が無い、
「一般(?)入居者さんへのアンケート」なのです。
その内容は、
退去される方にお尋ねするのと同様です。
建物、設備、管理、住み心地などについての満足度、
不満な点など。
ちなみに、
札幌オーナーズさんが管理されている物件の数は、
現在約1400戸。
アンケートの回収率は7割程度とのこと。
回答くださった方には、QUOカード1000円分を
謝礼として差し上げていらっしゃるのだそうです。
そのため、
単純計算で98万円ほどの経費がかかっていますが、
これによって、
物件や管理方法に、課題や問題点が見つかった際など、
すぐに改善の手を打つことが出来ます。
退去を未然に防ぎ、空室期間を減らすための
すばらしい戦略といっていいでしょう。
森社長は、こうおっしゃいます。
「管理会社は、滞納などの問題をかかえた入居者とは
接点をもつことが多いのですが、
逆に、問題を起こさない普通の入居者の方とは
ほとんど接点を持てません。
ですが、本来ならば、
長く入居し続けてほしいこれらの皆さんに対してこそ、
積極的にアプローチしていくべきなのです」
なるほど・・・!
「入居者のことをいつも気にかけていて、
改善の意欲にもあふれている・・・。
そんな管理会社が自分の住まいを管理して
いるということが伝われば、
入居者の皆さんは、きっと安心できるはず」
そうなれば・・・
「たとえ転居をされる場合でも、
『可能ならば同じ管理会社の物件に』と・・・」
そう思ってくれる入居者もきっと増えるはず、と、
森社長は力強くおっしゃっていました。
いかがでしょうか。
二週にわたって、札幌の管理会社、
札幌オーナーズ株式会社さんの取り組みについて、
紹介させていただきました。
最後に、
今日も雪の大地で奮闘されている森社長へ、
お忙しい中、多くのお時間を頂戴しました。
心より御礼申し上げます。
札幌オーナーズ株式会社さんのサイト
↓
http://www.s-owners.com
・・・よく工夫されたすばらしいリフォーム事例、
札幌オーナーズさんのさまざまな取り組みなどについて、
ご覧いただくことができます。
大学生向け賃貸物件・経営のヒント その2
2012年02月06日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
月曜日は「賃貸経営お役立ち情報」です。
先週にひき続き、
株式会社ホームアドバイザー・オウチーノ総研さんが
公表されている、
「東京の大学に通う、学生984人に聞いた
イマドキの大学生の「ひとり暮らし」事情~部屋探し編~」
不動産・住宅サイト SUUMO さんが公表されている、
二つの調査結果についてのお話です。
学生さんを顧客にかかえるオーナーさんなどにとっては、
賃貸経営のヒントにつながる何かを
ひろえるものになりそうです。
さて、前回も紹介させていただいたとおり、
現在住んでいる街・場所を選んだ理由として、
両調査ともに、
その第一位となっているのが、
「大学に近い」
です。
オウチーノさん・・・
1位 大学に近い 51.9%
SUUMOさん・・・
1位 学校に近い 70.9%
圧倒的ともいっていい、居住地、あるいは物件の
選択理由です。
そんな学生さん達に、
では、どんな手段で通学していますか?
と、SUUMOさんが尋ねたところ・・・
結果はこうなりました(上位抜粋)。
1位 自転車 74.8%
2位 徒歩 54.6%
3位 電車 16.1%
4位 バス 8.0%
自転車と徒歩が、これも圧倒的です。
「バス、電車を使っているとの回答が2割に満たないのは驚き。
通勤・通学ラッシュに巻き込まれるのはご勘弁?」
と、SUUMOさんもコメントを付していますが、
「半径○メートル以内のものにしか興味が無い」
などと、たびたび評される、
現在の若者気質といわれるもののどこか一面が、
現れているのかもしれません。
一方、私達賃貸住宅オーナーの場合、
こんな受け取り方をしてもいいのではないでしょうか。
「自転車を置く場所がない。
あっても設備が不十分なため盗難が心配だ・・・」
そんな学生向け賃貸住宅は、
そうではない物件と競合すれば、多分、
負ける確率が高まるでしょう。
興味深い調査結果は
ほかにもあります。
オウチーノさんによれば、
「ひとり暮らしをしている大学生の59.2%が、
現在住んでいる部屋に満足していない」
と、いうのです。
その大きな理由について、
オウチーノさんはこう推測しています。
・部屋を決めるとき、親御さんの意見を採り入れた
学生は92.6%にのぼる。
・受験の時期は時間もなく、学生には知識もない。
(部屋探しは)親に頼らざるを得ない。
・しかし、「ほとんど親が(部屋を)決めた」と答えた
学生が現在住んでいる部屋に満足していない
割合は、「親と相談しながら決めた」という
場合よりも16.6%多い。
・入居者である学生本人が意志決定に参加
しなかったことの代償は大きい。
いかがでしょうか。
調査結果には、
現在住んでいる部屋のどんなところに不満足なのか、
具体的に示されてはいないので、
軽率には言えませんが、
ひとつの示唆を感じ取ることは出来そうです。
つまり、
親御さんが「うちの息子・娘にはここがよい」と、
思って選ばれた物件が、
多くの場合、息子さん、娘さん達にとっては不満足。
快適な物件ではないのです。
そして、思えば・・・
オーナーさんの多くが、
こうしたミスチョイス(?)をされた親御さん達よりも、
さらにお年上の世代です。
いわゆる「若者との感覚差」が、
もっと大きく開いている可能性は高いといえるでしょう。
マーケットの示すトレンド、価値観、考え方などについて、
ひろく情報を求め、勉強することの大切さが、
ここにも浮かび上がっているように感じられます。
鎌倉・世界遺産に推薦されている「浄光明寺」さんで除夜の鐘を突く
2012年02月03日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
お話は前回の続きです。
扇ガ谷の寿福寺さんで除夜の鐘を突かせていただいた私。
「もうひと突きしたいな」
と、思い、
寿福寺さんから歩いて数分のところにある「浄光明寺」さんへ、
向かうことにしました。
寿福寺さんと同様、
世界遺産の推薦リストに名前が挙がっています。
足利尊氏が後醍醐天皇に叛旗をひるがえし、
挙兵する直前、
ここに籠っていたとも伝わるお寺です。
室町時代には、
足利満兼などの鎌倉公方の帰依を受け、
その菩提寺となっていました。
かつては十以上の子院をもち、
学問道場としても栄えた大寺院でした。
浄光明寺さんへ向かう途中、
深夜の住宅街を歩いていると、
あちらこちらから、
遠い除夜の鐘の音が聞こえてきます。
それらを耳にしながら、
いよいよお寺に着くと、
山門のところでは白い提灯が、
鐘楼と不動堂の周囲では赤い提灯が、
私を迎えてくれました。
このうち特に、
赤い提灯の醸し出す雰囲気が、私のお気に入りです。
ここでは、
元日の午前1時までに到着すれば、
除夜の鐘を突かせていただけます。
しかし、見ると、
私の訪問が遅かったせいもあって、
時間内ではあるのですが、すでに人々の姿は無し。
お寺の人以外は、私ひとり。
その方と鐘に一礼をしたあと、
小箱にお賽銭を入れ、お焼香。
鐘に手を合わせ、鐘木をひきました。
寿福寺さんに続いて、
良い音を響かせることができました。
実は、この浄光明寺さんの鐘、扱いが難しく、
鐘木にわずかでも余計な力が加わると、
甲高い、
風情のない音が出てしまいます。
そうなることもなく、上手に突くことが出来ました。
なお、こちらは真言宗のお寺さんです。
鐘楼横の不動堂では、護摩祈祷も行われています。
この日、
私の妻が体調を崩し、発熱していました。
早く治るように、と、
お焚き上げをしていただき、
お札ももらいました。
不動堂の中を見ると、
かなり怖い顔をした不動明王さんがいらっしゃるその前で、
小さな炎が上がっています。
時々火花も飛んでいます。
それらを前にしながら、お坊さんが一心に読経。
小ぢんまりとはしていますが、
雰囲気はとても厳かです。
お札を家に持ち帰って、妻の枕元に置いたところ、
翌朝、熱が下がりました。
浄光明寺さんの不思議な力によるものなのでしょうか。
なお、
ほかにも鎌倉には、
除夜の鐘を突かせてくださるお寺が
たくさんあります。
一昨年など、調子に乗って、
寿福寺さん、浄光明寺さんのほか、
近くの海蔵寺さん、薬王寺さんでも
突かせていただきました。
ですが、
家を出るのが遅かった今年は、二ヶ所をもって
まずは満足。
澄んだ新年の空気の中、帰宅としました。
ちなみに浄光明寺さんは、
公式ツイッターでの発信もされていますので、
紹介しておきましょう。
↓
http://twitter.com/joukoumyouji
辰野金吾。東京駅をつくった男は、ラスト・サムライのひとり その3
2012年02月02日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
木曜日は「雑学いろいろコラム」です。
お話は前回からの続きです。
「日銀、東京駅、国会議事堂の三つをつくりあげること」
辰野金吾はこの生涯の目標のうち、
すでに二つをその手にし終えました。
次はいよいよ、国会議事堂です。
しかし、
こちらはなかなかスムースには進みません。
官に育てられたあと、
民に下って(?)その星として輝いた辰野金吾、
彼は、明治の日本が成長してきたかたちを
そのまま一身に体現したような男でした。
しかし、一方、
彼がいわば野にあって大活躍している間、
官の方は官の方で、
地道に力をたくわえ続けていたのです。
国会議事堂は、
国家の象徴として、
出来上がればまさに近代日本の記念碑となるべき
重要な建物でした。
誰がこれをつくり上げるべきか?
どんな建物にするべきか・・・?
これに対し、
「国会議事堂は我々官の手でつくらせてもらう」
そう主張するのは、
大蔵省をその拠点とする官僚技術者達でした。
一方、
「いや、広く設計を募るべし。公開コンペにせよ!」
辰野とその教え子達は、そうはさせじとばかりに、
マスコミをつかい、
世論に訴え、
はげしく官僚側と主導権を争いました。
しかし・・・
長期にわたる議論空しく、
辰野達は負けてしまいます。
国会議事堂の設計は、大蔵省側の強力なリーダーだった
妻木頼黄(よりなか)らの手によって、
進められることとなったのでした。
ところがその後、
意外なことが起こります。
財政上の支障が出て計画の進行が遅々とする中、
なんと、妻木が没してしまうのです。
こうなると形成は一気に逆転。
建築界のキング・辰野の熱情を抑えられる者は、
もはや官民いずれにも見当たりません。
国会議事堂は、
辰野金吾主導によるコンペによって、
そのデザインが募られることとなったのでした。
ところで、なぜ辰野の主張は、
「オレにつくらせろ!」
ではなく、
「コンペ」だったのでしょうか。
無理もありません。
辰野はもはや建築界の重鎮、偉大な長老です。
「オレに、オレに・・・!」と、
駆け出しの若者のようなことを言うわけには
いきませんでした。
さらには、
もしも彼がそんなことを言い始めたら、
味方も皆シラけてしまい、ついてはこなかった筈・・・。
これらが、
理由として大きいでしょう。
そこで、
辰野は当初、こう考えていたようです。
「コンペとなれば、オレが審査員に選ばれることは必然。
同時に、もっとも発言力のある審査員は
オレということに。
そこで『審査員も作品を応募できる』ということに
してしまえば・・・しめしめ・・・」
さらにのちには、
こう軌道修正したといわれています。
「オレが応募できないのなら、
応募案の中から選ばれたものに、
オレが思い切り手を加えることが出来る仕組みに
してやろう。そうなれば事実上、
国会議事堂はオレの作品に・・・!」
むしろ惚れ惚れするほどの
ラスト・サムライのおそるべき執念といっていいでしょう。
しかし、
天は、このサムライが、
描いたすべての夢をつかみとることを
許しませんでした。
ほどなく、
辰野の思惑どおりに実施された国会議事堂設計コンペ。
そこで選ばれた作品に、
いよいよ手を加えようとしたその時、
彼は力尽きたのです。
病に侵されたその肉体は与えられた寿命を終え、
辰野金吾はついに、
永遠の旅路についたのでした。
享年六十四。
その後、国会議事堂の設計は、
コンペ案を下地にはしながらも、
実質上、
あの妻木頼黄のあとを継いだ、
官僚技術者らによってすすめられることとなりました。
その中心となった人物、
矢橋賢吉は、
かつて帝国大学で辰野の教えを受けた、
いわば弟子の一人でした。
・・・さて、以上で、
三週にわたって続いた辰野金吾のお話は終わりとします。
来週は「番外編」として、
もうひとり、
ある建築家とその作品についてのお話しをいたしましょう。