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九品寺の境内に残る小さな丘。そこは、伝・新田義貞本陣の跡
2015年02月13日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
あまり観光客の姿を見ない、
鎌倉の隠れた古刹やお社(やしろ)を
これまでにもたびたび紹介しているこの「鎌倉大家日記」。
今回、立ち寄るのは、
名前は結構知られており、隠れたお寺とまでは
言えないものの、
訪れる人が多いかといえばそうでもない、
浄土宗の名刹「九品寺」です。
前回、訪れた補陀落寺からは、(前回の記事は→こちら)
直線距離だと200メートルくらいのところに
あるのですが、
補陀落寺が込み入ったところに建っているため、
実際に向かうとなると、やや遠回りを強いられます。
わかりやすいのは、
補陀落寺の門柱を背に、路地を80メートルほど歩いて
まずはバス通りに出てしまうルート。
(鎌倉駅から浄土宗大本山光明寺の前などへ向かう
バスが通る道です)
バス通りを右折してT字路に突き当たったら、
左手、海岸方面へは進まず、右の山の手側へ。
200メートルくらい歩き、道路左手にお地蔵様の姿が見えたら、
その足元に敷かれた石畳のすぐ奥に・・・
九品寺の小さな山門が立っています。
九品寺は、
いわゆる「太平記」の時代の武将、
新田義貞が建てたお寺とされています。
義貞といえば、
歴史に詳しい方はもちろんご存知です。
鎌倉幕府を倒し、
鎌倉から武士の都である地位を奪った
主たる面々のひとり。
いわゆる建武政権方の武将。
しかしながらそののち、
ライバル足利尊氏との軍事的、政治的抗争に破れ、
最後は追いやられるようなかたちで赴いた越前で、
あえなく、不慮の戦死をとげてしまいます。
帝(みかど)を悩ませ翻弄し、
ふたたび武士の世をひらいた尊氏に対し、
朝廷に一途な忠臣の鏡であるとされ、
戦前までは国民的ヒーローのひとりだった義貞。
しかし、戦後は立場が変転。
その後半生がどうも冴えなかったこともあって、
いまは人気が無いだけでなく、
どんなことをした人なのか、
よく知る人も、
一般的にはあまり多くはありません。
そんな新田義貞が、
元弘3年(1333)、
倒幕の軍勢を鎌倉市街地になだれ込ませた際、
陣をかまえたその場所こそが、
いま、九品寺の境内が広がっている地点であろうと、
過去より言われ続けています。
早速、山門をくぐってみましょう。
正面は本堂です。
その本堂前を左に曲がり、庫裏の手前も過ぎていくと、
地面はにわかに盛り上がっていきます。
のぼりつめると、
そこには現在、小さな薬師堂が置かれていますが、
伝えられるところでは、そこが義貞本陣の跡とのこと。
北方約2キロ先には、
彼が追い詰めた北条氏一族と家臣達が自害の場とした
東勝寺が伽藍を広げていましたが、
その際、火を放たれた建物からもうもうと立ちのぼる煙が、
義貞のいた場所からは、
はっきりと見えていたのにちがいありません。
源頼朝以来続いた、
ひとつの大きな時代が終わった瞬間です。
そののち、間もなくのこと。
義貞は、
京都から僧を呼んで、この土地に寺を建てることを計画します。
それがいまに続く九品寺です。
創建は建武3年(1336)のこととされています。
九品寺本堂
(写真:宮 栄多郎)
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鎌倉大家日記(金曜日の記事)│コメント(0)
サルスベリ咲く、源平時代の荒法師「文覚」ゆかりの寺・補陀落寺
2015年02月06日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
さて、前回、
この鎌倉大家日記で訪問した、材木座海岸近くに佇む
浄土宗の大本山・光明寺。(記事は→こちら)
そこをあとにして、
今回からは、鎌倉の中心部へ、
ゆっくりと向かってみることにしてみましょう。
途中、
有名、無名・・・いくつもの古寺、また、小さなお社に
出会うこととなるはずです。
まずは、光明寺の総門をあとに、
参道の先を左右に横切るバス通りに出ます。
向かう方角は右。
道なりに進んでいきましょう。
やがて、250メートルくらい先のところで、
正面は行き止まりとなります。
T字路となっています。
しかし、目指すのは、
実はこのT字路ではありません。
そのほんの40メートルほど手前、
道路右手に、
自動車一台がどうにか入っていける程度の
細い路地が口をひらくのを確認できるかと思います。
そこに入ってみてください。
進むとほどなく、80メートルくらいのところで、
右手に、小さなお寺が現れるはずです。
真言宗「補陀洛寺」(ふだらくじ)です。
創建は古く、
源頼朝の鎌倉入りの翌年とのこと。(1181年)
彼に平家打倒の挙兵を熱心に勧めたひとり、
「文覚」が開山となって、
ひらかれた寺と伝えられています。
文覚、といえば・・・
平家嫌いで鳴らした稀代の荒法師。
激情多感の男。
サムライくずれの熱き革命運動家、といったところでしょうか。
誤って他人の妻を殺してしまい出家、
御所への強訴を咎められて流刑、
それでも見上げたど根性で、
愛する空海ゆかりの神護寺の再興を果たすなど、
浮き沈み激しい劇的な生涯で知られる
いわゆる源平争乱時代の重要なキャラクター・・・
なのですが、
実際、いくらかは脚色もあるでしょう。
どこまでが本当の話で、
どこからがフィクションなのかは、よくわかりません。
ただ、
言い伝えられるその激動の人生をどこか写し取ったように、
この文覚ゆかりの補陀落寺も、
竜巻の被害に遭ったり、
火災で伽藍ことごとくが灰になったり、と、
激動の歴史を経てきたことが、よく知られています。
そのため、いつの頃からか、
補陀落寺は、
人々から「竜巻寺」とも呼ばれるようになりました。
ちなみに、
もっとも最近のこのお寺の災難といえば、
大正12年の関東大震災とのこと。
本堂は倒壊。
いまの小さな本堂は、この翌年に建てられたものであると
いうことです。
現在の補陀落寺は、
まわりを家々に取り囲まれ、
その敷地、建物ともに狭く小さなことに、
拍子抜けがするほどです。
ですが、
そんなささやかでつつましい境内に、
夏になると、写真愛好家が続々と集まってきます。
お目当ては花です。
かなりの古木ながら、
一本のサルスベリが、開山・文覚の気性を表わすかのように、
渾身の気配をもって、
炎天下に紅の花を咲かせるのがその理由です。
ほかに、補陀落寺といえば、
「平家の赤旗」とされる古い旗が伝わっていることでも
有名です。
平宗盛ゆかりのものとも言われるこの旗は、
普段は非公開。
例年通りであれば、今年も春の鎌倉まつりの頃、
公開されるかもしれません。
補陀落寺
(写真:宮 栄多郎)
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緑まばゆい庭に平成の名建築「大聖閣」が佇む。材木座の古刹・光明寺
2015年01月30日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
あまり観光客の姿を見ない、
鎌倉の隠れた古刹やお社(やしろ)を
これまでにもたびたび紹介しているこの「鎌倉大家日記」。
ですが今回は、
前回ご紹介の「和賀江島」のほど近くに広大な伽藍を展開、
(前回の記事は→こちらです)
まったく世間に隠れてなどいない、
有名な古刹、
浄土宗の大本山・光明寺に、足を向けてみたいと思います。
さて、この光明寺、
「ここ7~8年くらい訪問していない」と、いう方は、
いま訪れると、
ちょっとした変貌に、目を見張ることでしょう。
立派な建物がひとつ、増えているのです。
建ったのは、「大聖閣」という建物。
正しくは、増えたのではなく、
再建されたのですが、
以前あった建物がとても目立たなかったため、
新しい大聖閣は、とにかくインパクト抜群。
夏に蓮の花が咲きほこることで有名な当寺の庭、
「記主庭園」のほとりに、
どこか京都の金閣寺を想わせる、
二層、八角堂を擁する美しいその姿を
2009年、
堂々出現させました。
次いでやや遅れて、
浄土宗の宗祖・法然上人800年大遠忌の年にあたる
2011年の夏、
厳かに落慶法要が営まれています。
なお、お気づきと思いますがこの年は、
奇しくも、東日本大震災の発生と同じ年となりました。
そのため、落慶法要および大遠忌法要は、
震災犠牲者への回向も兼ねたものに。
新・大聖閣は、この未曾有の大災害における
鎮魂の記念碑ともなったかたちです。
さらにその後・・・
すでに4年近くが経過しました。
大聖閣の真新しかった白木の肌も、
まばゆかった白漆喰も、
このごろは周りの景色とかなり馴染んできており、
まさにいまが風景の旬。見頃です。
どうぞ、足を運んでみてください。
以上、
鎌倉に近年生まれた平成の名建築・大聖閣のことを
ぜひ皆さんにお伝えしようと思い、
今回の鎌倉大家日記では、
あえて、
有名寺院である光明寺へ立ち寄ってみたというわけです。
ところで、
今後数十年、百年、
ひょっとすると数百年にわたって
鎌倉の「顔」のひとつとなっていくであろう、
この光明寺・大聖閣。
どんな人々の手によって、建てられたのでしょうか。
調べてみると、
岐阜県の現中津川市内、銘木・東濃ヒノキの産地、
旧恵那郡加子母(かしも)村という、
いわば山奥の大田舎に本社を置く、
中島工務店という会社が、これを手がけていました。
「飛騨の匠のわざを伝承していく」との気概に燃えた、
地方にあってひときわ輝く、元気溌剌な工務店のようです。
その中島工務店のウェブサイトに、
竣工間もない頃の大聖閣の内部、外部の写真が、
たくさん載せられています。
すがすがしい木の香りが、
画面からいまにも放たれてきそうな画像を
ぜひ、ご覧になってみて下さい。 →こちらへ。
光明寺・大聖閣
(写真:宮 栄多郎)
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意外?鎌倉時代に造られ江戸時代まで使われていた鎌倉の港・和賀江島
2015年01月23日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
あまり観光客の姿を見ない、
鎌倉の隠れた古刹やお社(やしろ)を
これまでにもたびたび紹介しているこの「鎌倉大家日記」。
今回は、古刹でもお社でもありませんが、
鎌倉にとっては大変重要な史跡、
「和賀江島」(わかえじま、あるいはわかえのしま)を
ご紹介いたしましょう。
まずは、前回訪問した、
古城・住吉城を偲ぶ小さなお社、「住吉神社」をあとに、
鎌倉の市街地の方向へ向けて、
歩みを進めます。
(前回の記事は→こちら)
住吉神社の社殿をあとに、
石段を下り、
そのまま正覚寺の境内も通り抜け、住宅街の通りに出ます。
続いて、前々回の記事(→こちら)でわずかにふれた
「六角の井」前を通過。
ほどなく、家並みが途切れ、
左手に、
つかの間ですが、海への視界が開けます。
ここで立ち止まってください。
いかがでしょう。
遠く浮かんでいる「江の島」が確認できるでしょうか。
江の島が確認できたならば、
そのほぼまっすぐ手前、
足元の渚の少し先の海面に、注目してください。
わずかな広さの「島」が見えるはずです。
これが、「和賀江島」です。
なお、その際、
もしも潮が遠く沖合へと引いていれば、
この島は、島ではなく、
岸辺と繋がり、半島のようにも見えるはず。
逆に、
潮が満ちているときは、
ゴロゴロと石の転がるただの浅瀬が、
海面に若干顔を出している・・・
と、いった程度にしか見えないものと思います。
この和賀江島、大変貴重な史跡です。
現存する日本最古の築港あと。
はるか鎌倉時代に造られた、船舶の停泊や荷役のための
港湾施設です。
竣工は貞永元年のこと。西暦でいえば1232年です。
時の執権は北条泰時。
鎌倉幕府の名執権とよばれるひとり。
工事を建言したのは勧進聖の往阿弥陀仏という人。
すなわち、お坊さんです。
大量の石が、伊豆などからはるばる運ばれ、
短期間のうちに積み上げられたのだそうです。
幕府がひらかれて以来、
訪れる人や運ばれてくる品々、入津する船の数が
日増しに増え続ける鎌倉においての、
まさに、
大型公共インフラ整備のひとつでした。
ちなみに、北条泰時といえば、
「朝比奈切通し」の開削事業でも、
その名がよく知られている人物です。
朝比奈切通しの着工は仁治2年(1241)。
泰時はこの翌年、世を去ります。
朝比奈切通しによって、鎌倉は、
その先にある六浦の海辺(現在の横浜市金沢区の一部)に、
外港を持つことになります。
しかし一方、和賀江島も、
それで廃れてしまったというわけではないようで、
記録は多くないものの、
鎌倉時代の後半、
さらにその後の室町時代(鎌倉府の置かれた時代)においても、
港として、立派に活用されていたようです。
さらに、時は下って江戸時代。
国政、あるいは地方政治の中心である地位をことごとく失い、
すっかり鄙びてしまった鎌倉にあっても、
和賀江島は、
ひきつづき漁港として活躍。
修復工事が行われたり、
利用をめぐって付近の村の間で争いが起きたり、
などといった記録が、
江戸時代の半ばに至っても、
いくつか残されるなどしています。
さらに、歩を進めてみましょう。
道路はY字路にさしかかります。
右手を振り向けば、そこはトンネルの入口です。
一方、左手、
前方には陸橋が横たわっています。
上を通っているのは国道134号線です。
この陸橋のある方向へ進みましょう。
すると、陸橋をくぐるすぐ手前、
左手に、
またも一瞬だけ海の景色が開けます。
立ち寄ります。
そばには立派な石碑が立つのも見えることでしょう。
石碑には、
「国指定史跡 和賀江嶋」と、刻まれています。
その脇の坂道、わずかに下っていけば、
辺りは砂の浜辺です。
ここからも和賀江島がよく見えます。
いかにも現在の鎌倉らしく、
周囲をウィンドサーファーが風に乗りつつ往来していたり、
かつての漁港時代よろしく、
島のそばに漁船が停泊しているのを見かけることも
多いかと思います。
材木座海岸の浜辺です。
右手、船の停泊しているあたりに、海から顔を出している和賀江島が見えます。
(写真:宮 栄多郎)
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潮騒の寺「正覚寺」と古城・住吉城を偲ぶ「住吉神社」の小さなやしろ その2
2015年01月16日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
金曜日は「鎌倉大家日記」です。
さて、前回は、
鎌倉市との境から約40メートルほどのところに
境内へとつづく細い石段を伸ばす、
「ほぼ鎌倉」・・・のお寺、逗子市の正覚寺を訪問。(→こちら)
続けて今回は、
この正覚寺のすぐそばにある小さなお社、
「住吉神社」を
ご紹介したいと思います。
場所は、正覚寺本堂のすぐ裏手、山の上です。
「住吉神社へ向かおう」と、実はことさら意識しなくとも、
海景色を振り返りながら、
正覚寺境内を「高みへ、高みへ」と進んでいけば、
誰もが自然に到着してしまう・・・
そんな場所に、
住吉神社の素朴で小さな社殿は佇んでいます。
その社殿の前に立てば、
すぐに目に入るのが、一枚の解説板です。
扉に立てかけてあります。
住吉神社の歴史や由緒について書かれているものと思い、
早速、覗いてみると・・・
そこにはこんな、まったく別のことが記されています。
「住吉城跡
戦国時代の初め、三浦道寸と弟の道香がこの山城にこもって、
北条早雲の軍勢と戦いました。
道寸と道香兄弟の奮戦もむなしく戦いに敗れ、
道寸は三浦の新井城に逃れ、
道香は逗子の延命寺境内で、家来たちと自害したと伝えられています。
住吉城は山城ですから、近世の城のように天守閣も石垣もありません。
自然の地形をうまく利用して、
攻め寄せる敵を防いだものと思われます」
誰が書かれたのでしょうか。
簡潔かつ、あくまで具体的な記述の中、
それでもどこからかドラマが伝わってくるような、
ちょっとした名文です。
そうなのです。
実は、正覚寺と、この住吉神社の建つ
海沿いの崖一帯というのは、
中世・戦国の城郭、
「住吉城」のひろがっていた跡なのです。
上記解説文にあるとおり、
住吉城は、
相模の支配をねらう北条早雲に攻められ、
奮闘むなしく陥落させられています。
永正9年(1512)のことといわれています。
住吉神社は、
この住吉城の鎮守とされていたお社であり、
かつ、
当地域一帯の鎮守でもあったと伝えられています。
ちなみに、
住吉城が落城したのち、
三浦道寸(義同・よしあつ)が逃れた「新井城」、
こちらは、
三浦半島南部西岸・油壺の湾を扼する岬の上に
ありました。
この新井城もまた、のちに北条早雲に攻められ、
長い籠城戦を経て落城するのですが、
その際、落命した兵士たちの血で、
湾の海面が油を浮かべたように染まったため、
「ここが油壺と呼ばれるようになった」
・・・との言い伝えはとても有名です。
さて、
住吉神社の小さな境内に立ち、辺りを見渡すと、
気になるものが目に入ります。
位置は、社殿に向かって右手。
崖の下。
ぽっかりと口をひらいた、大きな「穴」です。
これは・・・「やぐら」でしょうか?
いえ、奥が深すぎます。
先は真っ暗。見通せません。
どうやら、この穴は人が掘ったトンネルのようです。
すると・・・
ここは中世・戦国の古城の跡なのですから、
「城中にあった秘密の抜け穴なのでは・・・?」
と、誰もが想像することでしょう。
ですが、答えは、
そうではありません。
明治に入ってのちに、さる事情があって、
人々の通行用に掘られたトンネルであるのだそう。
いまも入っては行けますが、
先は私有地とのことで、出口は固く板で閉ざされています。
それでも探検・・・を試みたい方は、
途中、路は曲がっているうえに、
若干の傾斜もあるので、足元にはくれぐれもご注意を!
ゆえに、懐中電灯が必須といえますが、
実はこの穴の通称、なんと「ゲジ穴」。
いわゆる「ゲジゲジ虫」の皆さんが、
明かりに照らされつつ、
どっと群れて出迎えることもあるそうですので、
苦手な方には、決しておすすめできません。
正覚寺の墓地裏へ進み、裏山へ・・・。小さな社が現れます。
住吉神社のトンネルの入口から外を望む。
住吉神社からのすばらしい眺望
(写真:上田英貴、宮 栄多郎)
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