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かつて私達の生活をかたちづくるもののひとつだった・・・「竹」の話
2011年12月08日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
木曜日は「雑学いろいろコラム」です。
先週にひき続いて、「竹」のお話です。
前回は、
私達の暮らす住宅など、建物をかたちづくる建材、
あるいはそれらの装飾として、
かつては、
竹が今よりも豊富に見られていたことについて、
お話しをさせていただきました。
ですが、
それ以上に「竹」が身近だったのは、
やはり、
普段の生活の中で使われる道具としてでしょう。
まず、
竹のザルと、カゴ。
ひと口にザル、カゴと言っても、
用途に応じてその形や呼び名も色々です。
台所で水切りに使われる「菜ザル」、
米を扱うときの「米揚げザル」、
麺類を盛りつける「盛りザル」、
古くはどこの家にも見られた、定番でした。
洗った食器の水を切る「茶碗カゴ」、
ご飯を保存しておく「飯(めし)カゴ」、
衣服をしまっておく「行李」、
さらには、「クズカゴ」。
これらは多くが竹でつくられていた生活用具です。
家の外へ出てみましょう。
まず「竹箒(ぼうき)」。
これはいまもよく見られます。
結構な数が生き残っているかもしれません。
では、
地面の枯葉などを集める「熊手」はどうでしょうか。
道具としてよりも、
今は、
酉(とり)の市で買い求める縁起物としてのほうが、
私達にとっては身近だったりするかもしれません。
そして、
かつてはどこにでもありました。
家の外の、
もっともそれらしい竹の道具といえば・・・
「物干し竿」。
ですが、
竹製のものは最近、ほとんど見ることが出来ません。
こうして並べてみると、
竹製品は主にプラスチック類によって駆逐され、
私達の目の前から消えていったことがよくわかります。
そうした意味で象徴的なのは、団扇(うちわ)の骨でしょうか。
竹そっくりのしなり方、重さで、
プラスチックが見事な代役をつとめています。
ちなみに、
そんな様子ですから、
「竹」をつかった古い言葉も、
私達の周りから次第に消えていきつつあります。
「竹馬の友」
「破竹の勢い」
あたりは、まだ多少目にしたり耳にしたりしますが、
「木に竹を接ぐ」
「竹屋の火事」
と、なると、
若い人は、その多くが、
意味を知らないのではないでしょうか。
かつては家をかたちづくるもののひとつだった・・・「竹」の話
2011年12月01日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
木曜日は「雑学いろいろコラム」です。
今日は「竹」のお話です。
私達の古い住まいをかたちづくっていた、
建材、家の装飾、
その中から、
いまや完全に消えてしまいつつあるといえるのが、
「竹」
ではないでしょうか。
現在の建物・住宅に、竹はなかなか探し出すことができません。
昔は、
粗末でわびしい家、
あるいは、
そうではありながらも、どこか趣ありげな人が住んでいそうな
小さな住まいのことなどを形容して、
「竹の柱にかやの屋根」
などと、言うこともありました。
しかし、
これは今やほぼ消えてしまった言葉のひとつ。
知る人も年々少なくなっていく一方でしょう。
昔の住まいの中のどんなところに
竹が見られたか、
いくつか、挙げてみます。
まず室内では「天井」。
たとえば割り竹などで編み上げた、いわゆる「簀の子」天井は、
囲炉裏の煙を通し、逃がしてやる機能の面で、
板張りよりも効果的でした。
「床」
丸竹を編むなどして、床にします。
ただし、このやり方はとても古く、近世に入ってからは
あまり見られなくなったようです。
技術が進んで、板材が得られやすくなったためでしょう。
「窓」
今これがよく見られるものといえば、主に茶室です。
竹の連子を縦横にならべるなどしつつ、
その配し具合によって、光や影を演出します。
次に、
家の外へ向かってみましょう。
まず「縁側」。
家の中と外との境界の曖昧な部分を情緒深いものとするため、
竹を編んだり、並べたりした「竹縁」が
つかわれることがありました。
さらに「犬矢来」。
祇園の街角などでこれを目にするたび、
「京都に来たなあ」と、感じられる方も多いのでは。
建物の外壁を守りつつ、
家の趣きばかりか、町並みの風情までをも演出します。
「竹垣」
言うまでもありません。
光悦垣、建仁寺垣、銀閣寺垣・・・
実用と芸術が融合した、
「竹の住まい」における美の真骨頂です。
いかがでしょうか。
ほかにも
冒頭に出た「竹の柱」や、屋根裏の垂木、雨樋など、
家の内外問わず、
竹の活躍する場所はいくつもありました。
建物が建てられた場所や、
住む人の地位・立場・趣味などによって、
いろいろと違いはありそうですが、
昔の日本人の暮らしは、おおむね今以上に、
豊富な「竹」に囲まれていたようです。
理想のカップル誕生? 鉄筋コンクリートの話 その2
2011年11月24日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
木曜日は「雑学いろいろコラム」です。
今日は先週の続きです。
鉄筋コンクリートのお話の後半です。
圧縮に強く、引っ張りに弱いコンクリート。
引っ張りには強いが、圧縮に弱い鉄筋。
両者を一体に組み合わせることで、
互いの弱点が補われ、
圧されても引かれても、潰れたりしない、崩れたりしない、
強力な建材が生まれることについて、
先週はお話しをしました。
さて、
さらにもうひとつ、
鉄のもっている大きな弱点といえば・・・サビです。
誰もがご存知のとおり、
鉄はとてもサビやすいのです。
しかし、
どういう偶然か、
コンクリートと鉄は、この点においてもベストカップルでした。
なぜならば、
コンクリートの原料の一部であるセメントは、
強いアルカリ性を帯びています。
このアルカリ性が、まさに「もって来い」の効果を発揮、
コンクリートは、
鉄筋として内部に埋められた鉄を
なんと、サビからしっかりと守ってくれるのです。
守るだけでは済まず、
すでに鉄筋にサビがついていた場合、
これを消してしまえるほどの力を
コンクリートはもっているとのこと。
コンクリートと鉄筋は、
返す返すも、まさに理想のパートナー同士です。
とは言いながらも、一方では、
こんな話を皆さんもよく耳にしていることでしょう。
「古い鉄筋コンクリートの内部で、鉄筋がサビてしまい、
建物の補修が必要となった・・・」
理想のパートナー同士であるはずなのに、
これは一体どういった理由によるものなのでしょうか。
その主な原因は、コンクリートの「中性化」です。
コンクリートは、水分や空気中の二酸化炭素に晒されると、
次第にアルカリ性を失い、中性に変わっていくのです。
中性化したコンクリートからは、
鉄筋をサビから守る力が失われてしまいます。
ベストカップルには、
どうやら避けられぬ倦怠期と、その後の破局が
待っているようです。
中性化は、
コンクリートの表面から徐々に始まっていきますが、
これがやがて内部の鉄筋へと達し、
なおかつ、
そこに水分や酸素が入り込むような条件があると、
鉄筋はサビ始めます。
その結果、鉄筋から強度は失われ、
ついには膨張し、
周囲のコンクリートを割って剥落を招くなどします。
このコンクリートの中性化は、
残念ながら、避けるのが難しい現象です。
ですが、
これを起こりにくくするための工夫、
進行を遅らせるための工夫が、
建築関係者など、大勢の人々によって、いま、
さまざまに考えられています。
今回はそうした工夫の紹介は割愛しますが、
一般的な構造物では、鉄筋に触れるところにまで
コンクリートの中性化が進むのに、
「六十五年から百年くらい」
などとされているところ、
「百年以上、さらにそれ以上へ・・・」
人々の努力によって、
もっともっと長く強度を保ち続けられる鉄筋コンクリートが、
これからどんどん、生まれてくるはずです。
理想のカップル誕生? 鉄筋コンクリートの話 その1
2011年11月17日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
木曜日は「雑学いろいろコラム」です。
「鉄筋コンクリート」
といえば、本当に私達の身近にあふれています。
と、言うよりも、
これがなければ、現代社会とそこでの生活、
そのものが成り立たないと言っても過言ではありません。
ビルも、橋も、高速道路などの構造物も、
木造家屋の基礎さえも・・・
私達の生活をささえるありとあらゆるものが、
鉄筋コンクリートでつくられています。
コンクリートという素材は、
実は、建材として大きな弱点をかかえています。
それは、
「圧縮には強いが、引っ張る力には大変弱い」
と、いうものです。
「引っ張る力」とは、
たとえば、一例を挙げると・・・
コンクリートの板をそのまま何かの「橋」にして、
その中央に重さをかけてやった場合を想像してみてください。
その際、
コンクリート板の下面側の表面には、
左右にこれを引き合う力がはたらいています。
これが「引っ張る力」。
この力に、コンクリートは大変弱く、
そのため、
最初にコンクリートの橋が造られ出した頃など、
「橋げたの間、たった数メートル・・・」
そのくらいのものしか、
満足に実現できなかったそうです。
(その後、石でアーチを組むような伝統的な原理で
コンクリートが利用されることにより、一応、
「無鉄筋コンクリート橋」の長さは伸びています)
こうしたコンクリートのもつ決定的な弱点を補うため、
19世紀の後半、
いよいよ「鉄筋コンクリート」が開発されました。
ここでなぜ鉄筋、すなわち「鉄」なのか?
と、いうと、
コンクリートとはまったく逆に、
引っ張る力に対しては大変強靭な素材の
代表的なひとつが、「鉄」なのです。
この鉄を
コンクリートの内部に「配筋」、
つまりはスジを配るように並べ、埋め込んでいきます。
すると、
引っ張る力に弱いコンクリートの性質が、
中の鉄筋によって、打ち消されます。
一方、
比較的細い鉄筋は、
たとえば針金が人の力で容易に曲がってしまうように、
端と端からかかってくる圧力には弱いのですが、
こちらは、
周りを圧縮に強いコンクリートに固めてもらうことで、
やはり、弱点が打ち消されます。
両者を一体に組み合わせることで、
互いが互いの弱点を補い合い、
圧されても潰れない、引かれても割れたり崩れたりしない、
強力な建材が誕生・・・!したわけです。
ちなみに、
よく語られるエピソードですが、
最初の頃に、鉄筋コンクリートといえるものを考案した
何人かのうち、
もっとも将来に有効なかたちのものを提案したとされる人・・・
つまり、
鉄筋コンクリートの「発明者代表」といっていい人ですが、
この方はなんと、造園家だったそうです。
目的は、
「丈夫な植木鉢をつくるため」でした。
鉄筋コンクリートのお話、
さらに来週へ続けたいと思います。
コンクリート打ち放しだけではない、レーモンド
2011年11月10日こんにちは。
大家さんのための賃貸経営マガジン「オーナーズ・スタイル」
編集長の上田です。
木曜日は「雑学いろいろコラム」です。
先週の木曜日は、
アントニン・レーモンドという、
大正時代に来日した建築家のお話しをさせていただきました。
お洒落な「コンクリート打ち放し」の元祖・・・
詳しくは、
「コンクリート打ち放しで面を構成することによる
建物における美的な表現」、
その元祖に、
アントニン・レーモンドが日本に建てた作品があるというのが、
前回のお話でした。
さて、
そんなレーモンドですが、
コンクリートばかりではありません。
「木」の建築でも、
大変印象深い足跡を日本にのこしていることが、
知られています。
二つ、作品を紹介しましょう。
まずひとつ目は、
栃木県・日光の中禅寺湖畔に佇む、
「旧イタリア大使館別荘」。
昭和3年に建てられたこの建物は、
平成9年まで歴代の大使が実際に使用。
その後、栃木県が譲り受け、
改築、復元などを経たうえ、
現在、一般公開されています。
杉皮を張った市松模様にいろどられた内外壁が、
周囲の森と、目の前の静かな湖面の風景に、
とてもよく溶け込んでいます。
もうひとつは、
こちらも高原の避暑地、長野県軽井沢に建てられた
「夏の家」(昭和8年)。
現在は、
観光・文化施設である「軽井沢タリアセン」に、
移築保存されています。
その姿は、
自然に寄り添う「モダニズム」といった様子。
幾何学的な面の構成を木造で実現させた、
いわば、木のモダン建築です。
ちなみに、
この建物については、有名なエピソードが知られています。
近代建築最高の巨匠といわれるひとり、
世界中にその名を知られている、ル・コルビュジエが、
この作品について、
「私の案を盗んでいる」と、
抗議の声を上げたのです。
この言い分は確かに当たっていたようで、
レーモンドの「夏の家」は、
ル・コルビュジエがそれ以前に発表していた
ある作品案と、とてもよく似ています。
斬新だったその案の「盗用」に、
ル・コルビュジエは怒りましたが、
それでも、
「あなたは私の考えを深く理解してくれている」
旨を表明、
結局は、「夏の家」を褒めざるをえなかったのだそうです。
ちなみに、
ル・コルビュジエの弟子の坂倉準三が設計した
神奈川県立近代美術館の建物が
私の家の近く、鶴岡八幡宮の敷地内に建っています。
(1951年築)